今回は、パチプロになる前のパチンコの話をご紹介します。
🎲 最初のパチンコ 🎲
’2000年より少し前だったと思います。
バブル景気はとっくに終わっていますが、埼玉の夜の繁華街はまだまだ賑わっていました。
行きつけのスナックでよく付いてくれたフィリピーナは、お客に貰ったフェアレディZを店の近くの線路際に停めて置いたら、フロントガラスを大きな石で割られたといって悔しがっていました。
そんなスナックのホステスにパチンコを誘われました。同伴で入店すると別料金とかそんなセコイ話ではなく、出勤前のスナックのホステスはパチンコ屋にいるものと決まっていました。
パチンコ店は京浜東北線蕨駅東口駅前の、現在も現役のM店です。
地下一階の1島で、地元常連客で賑わっていました。
🎲 フィーバークイーンⅡ(1993年6月) 🎲
メーカー:SANKYO
大当確率:1/254
賞球 数:7&15
出球 数:2300発(多分?)
トランプ絵柄の大型ドラムと、それにシンクロしたサウンド(効果音?)が強烈な印象として記憶に残ります。また有名な保留球連チャン機でもありました。
まだ初心者なのでわけわからず打っていましたが、隣の常連さんが保留ランプ全灯なのを指さして、「あんまりよくないなあ」と言っていたのを覚えています。連チャンはしませんでしたが、トントンか勝ったと思います。
🎲 ホー助くんDX 🎲
メーカー:平和
種 別:権利物
賞球 数:7&10&15
出玉 数:2200発
フクロウを模した役物に入賞し、5穴クルーンのなかの“V”にオチると1Rか16Rの大当りのいずれかに抽選されます。大当り後は時短があって、引き戻しの期待値も大きかったと思います。一発台みたいなところがあって、大当りすると、店員が普通より大きな4000発入るドル箱を持ってきてくれます。じっくり腰を据えて打つよりも、時間のないときにうってつけの機種でした。ボーリングや飲み会の前によく打つことがありました。
相性は抜群で、500円でほぼ連続 3回大当りしたことがあります。飲み会に少し遅れていくと、必ず「どうだった?」と聞かれました。
アカウント名、ホースケ(Housuke)はこのパチンコ台 ❝ ホー助くんDX❞からきています。
🎲 大工の源さん 🎲
メーカー:SANYO
種 別:確率変動デジパチ
賞球 数:5&10&15
出玉 数:2300発
大当確率:1/369.5, 1/405.5, 1/438.5 (内部設定)
源さんで大連チャンしたのは 2回しか記憶にありません。
一回は、京浜東北線赤羽駅、1番線ホ-ムから見える King’sです。
出張の帰りで、3時頃フラっと入っていきなり連チャンが始まりました。すると職場から何度も携帯に電話がかかってきます。直帰するとは連絡したものの就業時間中なので走って外へ出ます。そのうち隣の常連客さんに「台見ててやっからはやく行ってきな」と、援護していただきました。
もう一回は、仕事帰りによく行った文京区西方交差点にあるチャンピオンです。
確か初あたりは、夜の9時過ぎだったと思います。
千秋似の女性店員が、ドル箱を替える毎にカンナ風の「お祈り~」をしてくれます。
お祈りが神様に届いたようで、連チャンは延々と続き、ホタルのひかりも終わって照明が消えてからやっと消化することができました。いつもの両替のオヤジさんも待っていてくれました。
ストリートビューでみたら、残念ながら 5階建てのビルになってパチンコ店はコンビニになっていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿