4月9日(月)に、久しぶりにパチンコをしてきました。
パチンコブログを書いていながら、ずい分ご無沙汰していました。
🏢 イメージ 🏢
お店は、自宅から歩いて行ける、京浜東北線蕨駅前のANGEL店(ブログ内の画像でどうせ判るので明記しました)です。
2017年7月には、3フロアありましたが、現在は縮小されて1フロアになっていました。
店員に、交換率について聞いてみたところ、遠回しな説明から手数料のない等価交換であることを確認しました。店員によると、お客と話せない内容や言葉が決められているそうです。特に、出玉を現金に交換できるシステム(3店方式)については制限が多いようです。
最近になって、法律対策なのか、カジノ施設の準備・依存症対策なのかなんなのか、行政は、またパチンコに規制をかけてきました。
Housukeが子供の頃(昭和30年代)のパチンコは、店とお客の双方がWinWinの関係でした。景品は、お菓子や缶詰めなどの生活必需品でした。これら景品の原価は、当時20%前後だったと聞きます。
🏢 昭和35年頃の千歳ニューサンロード商店街 🏢
当時の日本は人口爆発の真っ只中、5人~10人兄弟なんてあたり前でした。学校のクラスは1学年10クラスくらいありました。
子供のおやつは、お新香お漬物なら良いほうで、学校帰りにそこらの木になってる果物や、畑のキュウリやナスを食べて(泥棒?)いました。
そこへ、お父さんがパチンコで取った大きな紙袋いっぱいのチョコレートやフルーツ菓子などをお土産にして帰ってきたら、貧乏ながらも明るい一家団欒です。東芝やナショナルのTV-CMそのままです。
🏢 昭和の名古屋駅界隈 🏢
このお土産になる景品の原価は20%前後ですので、お客に40~50%割増で還元しても、店側には十分な利益が残ります。一斗缶に売上の百円札を足でギュウギュウに詰込んで倉庫に放り込んだと言う話を聞いたことがあります。
パチンコに行った話からそれてしまいましたが、次回に続きを書きたいと思います。
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